知念 実希人『ヨモツイクサ』を読んだ。
装丁デザインに惹かれて手に取った、いわゆる「装丁読み」だ。こういう小説はストーリーも好みであることが多い。
表紙には暗い森と、ヨモツイクサのタイトルがある。後ろには読み取れない程に滲んで透けた「黄泉軍」の文字。ここで小さな違和感を感じた。「黄泉」。あらすじではアイヌ伝承での禁域について触れられているが、日本神話に由来するタイトルなのか。
読んでみると、このような点から違和感を拾い集め「気づいてしまう」怖さが面白い小説だった。
ヨモツイクサ|知念 実希人(双葉社)
その森に足を踏み入れると《ヨモツイクサ》の生け贄となる。
北海道旭川に《黄泉の森》と呼ばれ、地元の人々が決して踏み入れない山があった。そこを大手ホテル会社が開発しようとするのだが、作業員が行方不明になってしまう。
道央大病院の外科医・佐原茜の実家はその森のそばにあり、7年前に家族が突然消える神隠し事件にあっていた。2つの事件は繋がっているのか。もしかして、ヨモツイクサの仕業なのか……。-双葉社 作品説明より引用
医療ミステリの名手によるバイオホラー小説。その筆力は流石のものだ。外科医である主人公・佐原茜の描写や科学的な考証など、サイエンスフィクションとしてもしっかりと肉付けされており、質感の高い恐怖が描き出されている。
『ヨモツイクサ』は3章構成になっており、
1章は現実的な自然の脅威
2章は未知なるものを知ってしまう怖さ
3章は異形の生物と対峙する怖さ
が中心に据えられている。
各章で恐怖の主体ががらりと変わり、味わいの違う恐怖が3段階で襲ってくる。現実的な恐怖と謎解き、パニックホラーが融合した面白い小説だ。
探索系CoCを思わせる雰囲気
物語全体の雰囲気としては、探索・推理要素の強いクトゥルフ神話TRPG (CoC) シナリオとの近さを感じた。
”個々人の現実的な動機から合流した探索者たちが情報を集め、事件の真相に近づき、クライマックスで異形の怪物と対峙する” という系統の探索シナリオの、とても骨太なやつだと言えば識者にはイメージが湧くかもしれない(馴染みのない方には申し訳ない)。
黒幕は何なのか、探索者たちの命運はどこに向かうのか。CoC好きにはかなり楽しめる方向性の作品だと思う。
リアルな脅威の質感の高さ
物語はヨモツイクサにまつわる伝承と《黄泉の森》を開発しようとする建設会社の作業員のシーンから始まる。
建設予定地に向かう作業員。しかし、設営された仮設宿泊小屋は異様なまでに静まり返っている。森の中で蠢く、何者かの気配。巨大な影の襲撃。行方不明になった作業員達は、後日、熊に食害された状態で見つかった。
この事件を大型ヒグマによる熊害と判断した警察は、熊撃ちを専門とする猟師とともにヒグマの潜む森に分け入っていく。
第一章で描かれるのは、現実と地続きの野生の怖さだ。日本で最も恐ろしい生物といえば、「三毛別羆事件」に代表されるとおり、やはり熊だろう。近年熊が市街地に出没することも増えており、日常の一枚向こう側にある脅威として他人事ではない。
ヒグマの潜む森を捜索する緊張感、襲撃によるリアルな痛みを想像する怖さ。いつか自分の身にも降りかかるかもしれない、ドキュメンタリー的な恐怖が読者を釘付けにする。
リアリティのあるヒグマ被害の描写は『熊嵐』を思い起こさせる。
横たわる謎と、気付きの恐怖
一方、被害者の解剖を担当した主人公・佐原茜は、被害者の遺体に青く発光する新種の小型蜘蛛が取りついていることを発見する。ヒグマの襲撃とされた事件だが、調査が進むごとに膨らんでいく違和感。警察とともにヒグマ捜索に同行した佐原茜は、森の奥で徘徊する奇妙な少女に出くわす。
そして急転する物語。
第二章からはバイオホラー、そしてミステリ作家の本領発揮だ。小さな疑問や違和感が泡のように膨らんで、ぱちん、と弾けるように恐怖が生み落とされる。残った泡沫がまた膨らみ、ぶくぶくと、謎と恐怖がクライマックスに向けて膨らみ増殖していく。
ミステリとしての楽しみ方
ミステリ筋の発達したカンのいい読者なら、全体の6割程度読んだあたりで黒幕の存在に思い当たってしまうかもしれない。そのくらい伏線が丁寧に張られているため、ミステリとしての読解も分に楽しめる。
途中で結末が見通せてしまったとしても問題ない。それで物語の面白さが損なわれることはないからだ。
気づいてしまったうえで破滅を止められない無力感。もしかしたら、最後の最後で助かるかもしれないという微かな希望。目を逸らしたくても読むのをやめられない引き込まれる怖さ。
それらに物語の終焉まで楽しく翻弄されることだろう。
質感の違う怖さとミステリが交錯する物語
『ヨモツイクサ』は、複数レイヤーの恐怖とミステリが複雑に絡み合い、多角的な恐さを楽しめる一冊だった。
なにより物語の組み立てが絶妙で、このような構成のホラー小説は貴重なのではないだろうか。
個人的には、1章終盤から2章にかけての謎に迫るシーンがたまらない。ページを捲りながら、ぼこぼこと膨らむ奇怪な泡を覗き込むように、自然と息を潜めてしまった。
これまで読んだ中でもかなり上位に入るホラー作品だ。