私は高知県の出身なのだが、そういえば高知の名士についての本を読んだことがなかった。そんな折に手に取ったのがこの本、「牧野植物随筆」だ。
牧野富太郎先生は高知県出身の植物学者で、日本の植物学の父とも呼ばれている。日本初の植物誌を編み、ヤマトグサやムジナモを発見したことで有名だ。高知には先生の名を冠した「牧野植物園」もある。
2023年のNHK朝ドラでも取り上げられていることもあり、最近知名度が高まってきた御方だ。
「植物命名の誤謬」大指摘本
さて。有名な植物学者の随筆集、となると、研究生活での発見や喜び、フィールドワークで出会ったちょっと良い話なんかを綴ったものかと思うかもしれない。それが全く違うのだ。
本書は「植物に付けられた名前について苦言を呈す本」だ。
人を馬だと言ったらどうだろう。犬を猫だと言ったらどうだろう。誰でもこれを聞けばそんなバカなことは狂人でも良いはしないとかつ叱りかつ笑うであろう。しかし世間ではこれに類したことが公然行われているのは、確かに日本文化の低いことを証明していることだと痛感する - 牧野植物随筆 p11
海外の別種と混同された植物、翻訳ミスによるネーミング、単純にセンスが悪い名付け。そういった納得できないものにツッコミを入れ、訂正し、一般の正しい理解のために情報を示す本である。
ジャガイモは馬鈴薯じゃない
たとえば、冒頭いきなり出てくる章タイトルは「馬鈴薯の名称を断固として放逐すべし」
だ。1ページ目1行目から尖っていて良い。
どうやら、馬鈴薯という字は日本にジャガイモが導入されて200年以上経過した後に当てられたのだが、全く似つかぬ別種の漢名だというのだ。馬鈴薯の名前を初めて使ったのは1808年の小野蘭山で、独自見解で呼び始めた名前が広まってしまったらしい。
牧野先生は、これは全くのナンセンスである、元々の「馬鈴薯」は中国福建省原産のコレコレという植物で……と徹底的な指摘を行ってている。
このジャガイモについての随筆は「植物一日一題(ちくま学芸文庫)」にも収録されており、こちらでは
馬鈴薯はけっしてジャガタライモでないぞと今日大声で疾呼し喝破したのは私であった
とある。馬鈴薯の件はなかなかに腹に据えかねていたらしい。
ちなみに、ジャガイモの和名は地方ごとにたくさんあるようだ。本書で挙げられているだけて60種。そのうち、最高に気になるものがあった。
その名も「金玉芋」と「アホイモ」である。
なんてこった。別地方の名前だと、清太夫芋や大師芋なんて上品な名前もあるのに。地域差が大きすぎる。
牧野先生はこの点については特にコメントはしていなかった。
褒めるところは褒める
ちなみに牧野先生、良いものは良いと素直に書いているのが好感高い。
リョウブという植物がある。その古名がハタツモリというのだけれど、白い花が密集して咲く特徴を挙げて「白旗が積もっているような外見からの命名だろう。奥ゆかしい」と誉めている。
右のように古人の命名仕方には実に今人の及ばない技巧があるには関心だ。- 牧野植物随筆 p62
どうやら風雅な和名がお好みのようだ。そのほか「塩竈菊」を誉めたり、自身の提唱した「オトヒメカラカサ(正式にはカサノリが採用された)」を自賛したりしている。
ユニークおじさんな一面もある牧野富太郎先生
こう読んでいくと、牧野先生がなかなかな面白おじさんであることがわかってくる。
私が本書で特に好きなのは「ナンジャモンジャの真物と偽者」の章だ。
ナンジャモンジャとはどんなもんじゃ、それはこんなもんじゃと持ち出されるものが幾つもある。(中略)まず第一のナンジャモンジャは、かの東京の青山の原にあったもんじゃ。- 牧野植物随筆 p166
略した部分にもナンジャとモンジャがふんだんに盛り込まれている。完全に遊んでいる。それなのに植物の解説には真摯で、私はこういうユニークな研究者がとても好きだ。
「牧野植物随筆 」は、バッサバッサと植物名の誤解を切っていく本だ。学術的に真面目なのに軽妙な語り口で抵抗なく読める。植物に興味がある方には大いに楽しめる1冊だろう。