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きらめくものの間を駆け抜ける感覚|「好き」の因数分解【書評・感想】

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きらめくものの間を駆け抜ける感覚|「好き」の因数分解【書評・感想】

ビビッドで近未来的なのに、活版印刷のようなレトロな感覚も覚える。そんな装丁に惹かれた。

本書は詩人である最果タヒ氏の、”好きなもの”について突き詰めたエッセイだ。

短い本だからすぐに読み切れるだろう。そう思って気軽に読み始めたが、ロケットのような言葉のスピード感についていくうちに思った以上に時が過ぎていた。読書でもウラシマ効果は発生するのかもしれない。そんなことを思ったので紹介したい。

「好き」の因数分解(リトルモア)

ここにあるのは、好きを飛び越えた私そのもの、もしくは、私さえ飛び越えた、生きることであると信じているから。―― 〈はじめに〉より
48の「好き」を、3層のテキストで書き分けるという挑戦。最果の「平成カルチャー論」であり、かつ、横溢する愛の読み物。-リトルモアブックス作品説明より抜粋

ファッション誌「FUDGE」に連載されていた記事に、書き下ろし・加筆を加えて再編集した一冊。

その一番の魅力は「好き」の奔放さ、自由さだろう。

目次を追うだけでも、ミッフィー・風立ちぬ・マックグリドル……と題材は多岐に渡っている。それらのポップな題材を最果タヒ氏の視点から切れ味鋭くスライスし、鮮やかな言葉で綴る。

切り取る角度も色味も題材ごとに驚くほどに変わって、プリズムのような「好き」の欠片につい魅入ってしまう。そんな本だ。

繊細なことはもういいんだよ、と思うことがある。
季節の移り変わりや、空の色の変化や、そういうことに「もうそういうのいいからああああああマックグリドルをよこせ!」と叫びたくなる。p10「マックグリドル」

世界が、海と陸に分かれているということを、暮らしているとどうしても忘れてしまう。
私たちは陸上に住んでいて、そしてそこにはさまざまな動物がいるはずだった(いなくなってしまったけれど)、ということは頭の片隅に残っていても、私がマクドナルドにいる時も、私が映画を見ているときも、足をつけた地面の先にある海の奥に無数の生命がゆらゆらと泳いでいることは、すっかり忘れてしまっている。
陸から見た海は、一つの生命体のようで、波が呼吸のようで、私はその底に何があるのか、ほとんど想像できてはいない。p18「水族館」

複雑な「好き」の多項式

本書は一風変わった3段構成になっている。

見開き2ページに1つのテーマ。中心にあるのはスタンダードな黒い文字で綴られた、題材に関するエッセイだ。さらに、その左上と右下に色鮮やかな文字で短い文章が添えられている。

左上には緑色の文字で、エッセイの中の一要素を抽出したサブタイトルと、文章。右下にはピンクの文字で、言葉を付け加えるような文章がある。


例えば、「水族館」の項では、緑色で書かれたサブタイトルは「海」だ。

黒文字のエッセイでは、水族館を、陸と地続きの先にある海の世界に侵入する・沈んでいくような場所だと捉えている。二つの世界が交差し、互いに覗き見る場所。
その要素である「海」を抜き出した緑のサブタイトルを掲げ、今度はメタファーとしての海にフォーカスしたミニコラムが綴られる。

タイトルの因数分解になぞらえるなら、黒字の文章は元になる多項式で、緑とピンクの文章はくくり出された因数だ。複雑な「好き」の要素を整理するように、入れ子構造で語られる構成は挑戦的な試みだと感じた。

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疾駆するスピード感

冒頭でも書いた通り、本書を読み始めた当初は、短いエッセイだし気軽に読めるだろうと思っていたのに、実際読み終わってみれば思った以上にエネルギーを使った感覚があった。

綴られている「好き」の熱量が高いこともあるが、何よりの理由はその速さだろう。

最果タヒ氏曰く、詩はスピードがとても早いものらしい。

なんとなくわかる気がする。短歌に触れた時知った感覚だ。
文字単位で余計な言葉を削ぎ落とし、シンプルな表現で、純粋な熱量を押し込める。単語選びのひとつにまで気を配って、それ以上軽量化できないところにまで持っていく。戦闘機とかロケットとかに近い文学なのだろう。

だからこそ、その言葉を追いかけるのにエネルギーを使うのかもしれない。でも決して嫌な疲労感はなくて、きらきらとした「好き」の中を飛び越えていく眩い感覚が残っている。

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