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ゴールデンカムイ完結|2022-04-28の日記

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ゴールデンカムイ完結。最終回、見事だった。見事だったとしか言えない。 よくあれだけの話をちゃんと畳みきったな、と思う。

ワンシーン「山猫の死」に意識を持っていかれた。

後日談のたった一コマでしかないが、そこに描かれている情報量にくらくらする。「”山猫の死”と美術鑑賞における教養」みたいなタイトルで架空の美術評論記事が書けそうな勢いだ。

我々は無価値の証明をしようと生きた哀しい尾形の姿を知っているし、”山猫”が人を騙すもの・商売女の隠語であることを知っているのでその絵に込められた意味を読み取ることができる。しかし何も知らずに絵を見たら、ただ線路の横で死んでいる猫にしか見えない(線路ということにも気付かないかもしれない)。

特に心をかき乱すのは、尾形の死から”山猫の死”が描かれるまでに30年以上が経過している点。画家となったヴァシリが過ごしたそのあまりに長い時間。死ぬまで絵を手放さなかったこと。その意味を考える。

さらには、死に顔を見ることが愛の証明と考えた者の、まさにその死を看取ったであろうこと。これを愛と呼ばずになんと呼ぶのか。

尾形の回想の優作を思い出す。「優作だけが俺を愛してくれたから」優作は笑顔でバツ印を作っている。高い自意識と錯乱ゆえの滑稽ドシリアスシュールギャグかと思いきや、そうではなかったのだ。

金塊に価値を見出さなかった、ただ祝福を求めた子供は、結果として3億の絵画のモチーフとして人々の視線を得た。

 

しかし白石マジ白石。あんな終わり想像できるか!クソ!あの野郎やりやがった!  

【参考】

山猫; 遊芸の拙い芸妓にして、淫を売るのに上手なる女『新修隠語大辞典』

「芸者」のことを隠語で一般的に「山猫」というのか、いつごろから言われているのか知りたい。特に明治末期... | レファレンス協同データベース

イタリアの作家トマージ・ディ・ランペドゥーザの長編小説にも同名のものがある。