読んだ本は逐次このブログで紹介しているのだけど、割とさらりと読めてしまった本や、側面を切り取って紹介するのが難しい本、本のわずかなネタバレも致命的になる本など、記事を書きあぐねるものも多い。
そんな本が山になって、「記事にする」リストを圧迫している。
その間にも本は読むので、リストの題目は増えることはあれど減ることはない。流石にこのままではタスクの山に押しつぶされてしまう。半分趣味の書評でそのほかの仕事が圧迫されるのも本末転倒なので、まとめて簡潔に紹介することでリスト消化をはかろうと思う。
なにせ、もう8月も終わろうとしているのだから。
- センス・オブ・シェイム(酒井順子|文藝春秋)
- ストーンヘンジ(山田 英春|筑摩書房)
- Another side of 辻村深月(KADOKAWA)
- 宗教のレトリック(中村 圭志 |トランスビュー)
- 最後に
センス・オブ・シェイム(酒井順子|文藝春秋)
エッセイスト・酒井順子氏による「恥」がテーマのエッセイ。
「SNSと中年」という項では、おじさん構文やFacebook自慢合戦などの火の玉ストレートをぶち込み、続いて性的な話題や読んでいる本を知られることなどの「自意識からくる恥」をテーマにしたかと思えば、時代・年代間での『恥』の感覚の違いに切り込んでいく。その視野の広さと洞察に感服する。
日本の行動規範は『恥』の文化だというけれど、その恥ずかしいという感覚は「人からどう見られるか」、言い換えると「他者との関係性」の中でのみ生まれるものであると、この本は鮮やかに描き出している。確かに、人間、自分一人でいるときは恥なんて感じないのだ。恥について考えることは、自分と他者との境界線を考えることでもある。
SNS時代になり、この「自分と他者との境界線」は以前よりも薄くなっている。今や家から一歩も出なかったとしても、手元のスマホを介せば、そこに他人の目がある。自己表現が求められ、画像や動画による私生活のシェアが当たり前になった文化で、今後の「恥」の感覚はどう変わっていくのだろうか。
ストーンヘンジ(山田 英春|筑摩書房)
ロマン溢れるイギリスの遺跡・ストーンヘンジについて、その構造や歴史を解説する本。
写真と図解が多く、説明も丁寧で読みやすいうえ、「諸説ある」ものはちゃんと複数の説を取り上げている、学術的にも信頼がおける。オカルトや伝承の要素までちゃんと取り上げているあたり懐が深い。
そういえば、私がストーンヘンジを始めて知ったのは、やぶうち優先生の「KAREN」という少女漫画だ。20年以上前、図書館においてあったのをきっかけに手に取った覚えがある。
19世紀末ロンドンが舞台で、治癒の力をもった少女(カレン)が主人公なのだけれど、彼女が自分の出自の謎を解き明かすためにストーンヘンジに向かうシーンがあったのだ。たしか。
物語はうろ覚えだけど、ストーンヘンジが描かれたコマだけは記憶に残っている。結構な時を経て、ストーンヘンジに少しだけ近づけたのが嬉しい。
Another side of 辻村深月(KADOKAWA)
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「辻村深月ガイドブック」とでもいうべき一冊。
辻村深月氏の作品解説インタビュー、対談、書き下ろし短編、著名人からの様々な「辻村深月評」とコンテンツが山盛りで、どこを開いても密度が高い。
特に楽しめたのは文筆家たちによる「辻村深月評」だ。辻村作品の魅力はどこにあるのか、本人はどういった人なのか。エッセイ、対談、一言コメントと、いろんな作家が形式も様々に「辻村深月」を綴っている。
創作論や世界観に関する話題も多く、物書きの端くれとして参考になる部分も大いにあった。
辻村作品は「ホワイダニット (Why done it ?) のミステリー」のイメージが根強いと思う。しかし近年の作品を見てみると、ホラー、仕事、そして青春とバリエーション豊かだ。名前に冠した月のように、見る場所によってガラリと印象が変わる。そんな辻村作品の魅力を眺め尽くせる一冊。
宗教のレトリック(中村 圭志 |トランスビュー)
怪しい表紙とタイトルだが、真面目に宗教におけるレトリックの使われ方について論じた本。新興宗教のレトリカルな洗脳とかには触れていないので安心してほしい。
本書では仏教・キリスト教・イスラム教の世界三大宗教を中心に、教義や神話に用いられているレトリック(修辞法)について考察されている。
中心となるのは隠喩(メタファー)、換喩(メトミニー)、提喩(シネクドキ)。それぞれ、言葉の類似性、概念の隣接、重要な要素に注目した言い換えの技法だ。たとえば、ブッダ(=目覚めた人)もキリスト(=油を注がれた者=メシア)も提喩にあたる。
本書を読むと、宗教において「わかりやすさ」がいかに重視されているかが読み取れる。複雑な概念や高次の思想は、とにかく「感覚でなんとなくわかった気になれる」よう、身近な似たものに例えたり、徹底的に強調したりする。
論理ではなく、文化に馴染むのが宗教を広める上で一番重要なのだろう。
最後に
これで多少は「読んだ本リスト」内の本の紹介を進められた。
まだまだ書評を書けていないものが列をなしているが、なるべく早いうちに記事にしたい。読んで時間が経つと、本から汲み取ったものがどんどん沈澱して、上澄みが薄くなっていってしまうから。