最近、電車での移動中はなるべく本を読むことにしている。
数年前、東京に住んでいた頃では考えられなかったことだ。通勤時間の東京の電車はあまりにも人との距離が近すぎて、イヤホンで情報を遮断しては、体で隠すように抱えたスマホの上で指を動かすことしかできなかった。
中部地方に越してきてから、電車内は快適だ。混んでいる時間帯でも本に没頭する余裕がある。
以前紹介した『古くてあたらしい仕事』の著者・島田潤一郎氏は、毎週一冊、通勤電車の中で本を読んでいるらしい。
ぼくは毎日電車に乗って、会社へ通勤しています。所要時間は片道二五分ほどなのですが、そのあいだは必ず本を開くようにしています。スマートフォンを見ず、眠ることも我慢して、ほんの世界に没頭する毎日。帰りの電車のなかでも、同じように本を読みます。そうした生活は、一言でいえば、とても楽しいです。- p5
本を読むという行為は、ゲームでいうセーブでありロードだと思う。
本を読むと、その内容と共にその瞬間の状況・記憶が保存される。逆に、ある本を読んだ瞬間に、とじ込められていた記憶が蘇ってくることもある。
読書という行動が、どれだけ記憶に結びついているか。
『電車の中で本を読む』は、島田氏の読書に関する経験・エピソードを交えて書籍を紹介する内容の本だ。各章1冊の本が取り上げられているが、書評というよりは随筆というのがしっくりくる。
島田氏らしい穏やかで深い洞察と、慈しみすら感じる文体を味わいながら、新しい本に出会える、とても良い一冊だった。
『電車の中で本を読む』(青春出版社)
良いと思うものだけを刊行してきた、ひとり出版社・夏葉社の代表が、これまでに読んできたなかから、自分の体験をまじえつつ、珠玉の49冊を紹介します。著者は、鬱屈としていた20代、すがるように本を読みました。本のなかには、自分と同じように、思い通りにいかない人生にもがいている人がいたり、自分の狭い考えを広げてくれる先達がいました。- 青春出版社 内容紹介より抜粋
元々は高知新聞社発行のフリーペーパー「K+」に連載されていた、本にまつわるエッセイだったらしい。
読んでまず感じたのが、思慮深く情が深い文章が相変わらず素敵だ、ということ。本に関するエピソードの数々が、大切な思い出を振り返るように、丁寧に語られている。
本から漂う、高知の懐かしい香り
第一章「高知から本を買う」では、高知の風景、人々が潮の香りと共に感じられるような文章が綴られる。その中のエピソードのひとつとして、高知県の「まちの書店」・金高堂書店の話が出てくる。
金高堂書店は高知県ローカルの結構大きな書店だ。高知県民にとっての三省堂書店や丸善書店に近い。
私自身も高知出身なのだけれど、高校の頃、学校近くの金高堂によく行っていた。売れ筋だけでなく書店員さんの選書が素敵で、いつも書店の隅々まで歩き回っていた。
高校から書店に向かうとき、いつも細い裏通りを自転車で走った。くすんだ色のブロック塀と、曲がって見通しの悪い小道。記憶のなかのその道は、いつも初夏の日差しをしている。たしか、有川浩氏の小説「キケン」のサイン本を買った日だ。
そういった記憶が、一気に脳細胞の奥底から掘り出されてきた。
読者は1人の作家の文章を通して、身近な風景を再発見します。国道を。街を。海を。山を。空を。家を。 郷里にまつわる本を読めば読むほど、故郷はどんどんと豊かになっていきます。- p17「高知の魅力的な本屋さん」
これは、上林暁傑作小説集『星を蒔いた街』の項での島田氏の言だ。私にとっての島田氏の文章はまさにこれで、読むたびに高知の風景が蘇る。
現在と記憶の風景をつなぐ行為
「電車の中で本を読む」ことは、島田氏の知的活動そのものであるかもしれない。
本書は、島田氏が読書によってどのような記憶や経験を紡いできたのかを探るブックガイドであり、エッセイでもある。書籍の紹介とともに、高知への里帰り・子育て・作家や書店との出会いなど、島田氏自身の記憶が綴られている。
島田氏にならって電車の中でページをめくってみると、私の記憶の中にも確かにある、高知の風景が思い出された。