「歌集副読本」とは歌集を味わい尽くすための助けとなる読みものです。
2つの出版社(書肆侃侃房とナナロク社)の2022年の話題の歌集2冊の著者が、互いの歌集の魅力について、愛情こめて書き合いました。-ナナロク社説明文より引用
唐突だが、私は短歌をナメていた。
まずはその懺悔から入りたい。
国語の授業でよくわからないまま読まされ、意味を暗記した和歌。自分とは遥かに遠い昔の文化。あるいは、ご老人達の渋い趣味。
好んで短歌を読む(詠む)人でない限り、多かれ少なかれ同じような印象を抱いているかもしれない。
さらに、「詩」という形態の持つポエミックな響きは、若かりし頃の古傷というか、厨二的な苦い記憶を掘り起こしてしまう力がある。
そういう理由から、私は短歌というものにあんまり魅力を感じていなかった。
そのイメージが一変した。
短歌とは、推敲の果てにある一つの文章の究極系だった。
5、7、5、7、7の31文字という非常に限られた文字数の中で、構成、レトリック、単語、音調が絶妙な精度で組み立てられている。すべての文字が意味を持って配置されていて、1文字も役目をサボることは許されない。
書き手としての私が考える「いい文章」とは、「無駄な言い回しをせず、まっすぐに読者を刺す」ものだ。
無駄な前置きをしない、”〜という” ”〜こと” などの無くても成立する表現を削る、そもそもの構成を組み替える、など、文章は無駄を追い出すことで密度があがり切れ味が鋭くなる。
(これは文字単価いくら・何字以上、の案件ライティングと相性が悪い)
短歌はこの考えを体現する文学のようだ。食わず嫌いはもったいなかったと今は感じている。
歌集副読本『老人ホームで死ぬほどモテたい』と『水上バス浅草行き』を読む(ナナロク社)
本書は現代短歌のふたりの若手歌人、上坂あゆ美氏と岡本真帆氏が互いの歌集を解説・批評する内容となっている。
歌集の副読本(解説本)ではあるが、歌集を未読であっても問題ない。冒頭には歌集の読前読後どちらで読んでも良いと書かれているし、解説・コメントのついた短歌は丸ごと引用されているので、これ一冊で楽しめる。
むしろ、私のように短歌に明るくない人ほど副読本を先に読んだ方が魅力を理解しやすいだろう。
2人の短歌の技法や魅力が対談調で解説されるため、一般書と同じ感覚で読むことが可能だ。「何を描いた歌なのか」「この語順にはこういう意図があるらしい」「こいつら連歌ってやつだったのか」と、理屈から噛み砕くことで短歌の味わい方がわかってくる。
歌人による作風の違い
ともに2022年に初の歌集を出版した二人だが、もともと共同で「生きるための短歌部屋」というオンライン歌会を開催していたらしく、いくつかTwitterの引用で知っていた歌があった。
じゅげむじゅげむごこうのすりきれ生きることまだ諦めてなくてウケるね /上坂あゆ美
ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし /岡本真帆
この歌からも感じる通り、ふたりの作風はかなり違う。本書に取り上げられた短歌だけの印象でしかないが、上坂氏の歌は生々しい陰があるものが多く、岡本氏の歌は柔らかい光を纏っているものが多い。
歌人によって描き出される情景がこんなにも変わるのかと驚かされた。
「短歌って極まってるな」
そう感じたきっかけとして、本書で紹介されていた中で1番好きな歌を紹介したい。
犬の名はむくといいますむくおいで 無垢は鯨の目をして笑う /岡本真帆
「むくおいで」までであたたかくおだやかな犬を想起させたところで、
「無垢は鯨の目をして笑う」
文章として、この構成はすごすぎないか。
遠くでわふわふとしていた犬から、焦点が目へと一気にフォーカスする。急に浮き彫りにされた、全てを見通すような深さ。
描かれていたのは無垢な犬なのか、自分の中にある犬のような無垢さのことなのか。
ファンタジーの犬から自己の内側にある現実に引き戻されるようでハッとする。31文字しかないのにこの表現は練り込まれすぎだろう。
こういう感覚を1冊分浴びて、短歌の技巧の妙にすっかり惹き込まれてしまった。
いきなり「副読本」に手を出したワケ
そもそものきっかけとして、なんで短歌への興味もなかったのに、歌集の副読本なんか読んだのか。その理由は、陳腐な表現だが「縁があったから」だ。
しょうもない私事だが最後に説明させて欲しい。
私は沼津に住んでいて(『老人ホームで死ぬほどモテたい』上坂あゆ美氏の出身地)、高知県四万十市(『水上バス浅草行き』岡本真帆氏の出身地)に本籍があった。
そして、この本が刊行されて間もない2023年3月に、戸籍謄本をとりに四万十市に行く用事ができた。
もう少しだけ付け加えさせてもらうと、四万十市役所は同じ建物内に市立図書館が併設されていたのだ。
用事を済ませ、ついでに実家に帰るバスを待つまでの時間で図書館に足を運んだら、そこに本書を見つけたというわけだ。
綺麗な装丁。カバーのない爽やかなブルーの表紙に、金の箔押しで緻密なイラストが描かれている。キラキラしているのはスバル車の中から見る街並み。助手席には同行者がいて、ドアポケットにノートのようなものを立てている。
手に取るには十分すぎる魅力があった。
運命的なものを感じる、なんて言うと我ながらサムいが、あの場で本書を手に取ってよかったと思う。
おそらく最初に読んだのが歌集本体だったら、短歌の文章としての魅力に気づけなかったと思う。
解説を読み、31文字に込められた意図や修辞法、構成技術を知ったことで、短歌を楽しむ回路が自分の中に生まれたのだろう。
もっと短歌を味わってみたい。二人の歌集についても、近いうちに読んでみるつもりだ。