服飾が好きだ。
自分自身はセンスが皆無だし、そもそも自分がいい服を着るのは技術と時間を尽くした高級なソースを屑肉にかけるようなものだと感じてしまうので、もっぱらユニクロのマネキンと同じような格好をしているのだけれど、生地とか、パターンとか、服飾にまつわる歴史を知るのは楽しい。
本書のタイトルにある「モード」とは、もとはフランス語の「mode=流行」という意味で、ハイブランドが発表した目新しいデザインや服飾のトレンドを指す。
著者である中野香織氏は服飾史家ということなので、服飾流行の文化史に関する本かな?と手に取ったが、いい意味で裏切られることとなった。
本書は服飾うんちくが無限に収集できる、服飾にまつわるコラム集だ。
現在では定番になったファッションアイテムの意外なルーツや歴史、裏話などが軽妙な文体で語られている。
モードの方程式|中野香織(新潮文庫)
何気なく着ているあなたのその衣服に隠された物語があるのをご存知ですか?カーディガンもチノパンも軍発祥。ハンカチは実は貴婦人の求愛の小道具。エプロンが権威や地位の象徴!?ファッションにまつわるエピソードをひもとけば、文化が、時代が、そしてオトコとオンナの関係がわかる。ワンランク上のおしゃれを目指す大人に捧げる、知的かつ軽妙洒脱なファッション・コラム集。-新潮社 作品紹介から引用
読み応えのある服飾史コラム
「モードの方程式」では、日常で意識することのない、服に隠された物語が紐解かれる。キャッチーなうんちくも多く、知識欲の奴隷である私にとっては垂涎なネタも多かった。
カーディガンは人名から
例えば、カーディガンはカーディガン伯爵が羽織ったウールのウエストコートが起源だという。まさかのサンドウィッチと似たネーミングだったとは驚きだ。
カーディガンをファッションアイテムとして流行させたのは、1964年に公開された「マイフェアレディ」のヒギンズ教授(レックス・ハリソン)だという。
名作であることは知っていたが、作品自体を見たことはなかった。軽く触れてみたところ、確かにクラシカルなスリーピース×ハットという出で立ちと対照的に、室内のシーンでのカーディガン姿が印象に残る。
カーキとチノ
また、「カーキ色」と「チノパン」は語源的に共通している、との話もある。
こちらは1840年ごろの話だ。植民地だったインドに英国軍が駐屯していた時代。
英国の軍服は元々白色だったが、インドの砂埃ですぐに黄色く汚れてしまう。それを嫌った士官が、軍服を桑の実などで黄褐色に染めた。こうして出来上がった軍服がはインド人からKhaki(ヒンディ語で”埃の色”)と呼ばれたそうだ。
その布地を製造してい他のは英国本国のマンチェスターだが、軍に安定供給をしようとすると余剰在庫が出始める。余った生地を中国へ輸出したところ、今度は中国側がフィリピン駐在のアメリカ軍に販売。そこから作られたパンツがチノーズ(チノ=中国 からきた布で作ったパンツ)と呼ばれ始めた。というわけだ。
キャッチーな服飾歴史うんちく
そのほか、本書では雑学・うんちくネタに事欠かない。
サッカーなどでお馴染みのハットトリックは、試合中に1選手が3ゴール以上達成することを指す。なぜ「ハット」なのか、今では謎の単語と化しているが、元々はスーパープレイに対して実際に帽子が贈られていたことに由来している。
語源的にはサッカーではなくクリケットで、打者を3人アウトにすると褒賞の帽子が貰えたそうだ。トロフィーでもバッジでもなく、ハットというのが非常に英国文化らしくて良い。
あるいは、18世紀における海水浴は日本でいう「湯治」みたいな位置付けだったというのだから面白い。着替え用の幌馬車が海沿いに用意され、男性は全裸で海に浸かっていたようだ。ヌーディストビーチはナチュリズムによる新しい思想なのかと思っていたが、むしろクラシカルなのかもしれない。
一方で、革をなめすために昔は人尿を使っていた(悪臭が強いので臭い消しに香水を染み込ませたらしい)という信じられないような話もある。
面白がるもよし、感心するもよし、服飾の歴史に想いを馳せるもよし、と多様な楽しみ方ができる本だ。
服飾についての視点が広がる一冊
本書は大変おもしろい服飾コラムだが、何より著者の知識量に圧倒された。ページをめくるたびに次々と歴史・文化に根ざしたエピソードが現れる。読了後はファッションというものの解像度が高まったような思いだ。
『モードの方程式』以外にも複数、服飾についての書籍を執筆しているようなので折を見て読みたい。比較的新しい本だと『「イノベーター」で読む アパレル全史 』や『紳士は名品を作る』などがある。元々服飾研究に関してはケンブリッジ大学に所属していたこともあり、英国服飾史については間違いない著者の一人といえるだろう。