10年ぶりくらいに読み返した。
読むのになかなかのカロリーを消費する作品だからだ。
読み返すきっかけになったのは、ひろたつさんのこちらのツイート。
「地獄をすすりたい」という変態からのリクエストに応え、4033人分の #大好きな鬱小説 を集計し、とっても最悪なランキングを作りました。
— ひろたつ@読書中毒ブロガー (@summer3919) 2023年3月19日
限られた人生の時間を、わざわざ不快なものを見て消費したい方にオススメです。存分に地獄を味わってください。 pic.twitter.com/XBj6pUXI8o
鬱作品と銘打たれている通り、そのストーリーは重く苦しく、痛々しい。ただ、鬱の一言で片付けるのは勿体ない物語だ。
辛い現実を生きる子供たち
主人公である山田なぎさは、困窮した家庭の中、13歳の身で家事と引きこもりになった兄の世話を一手に引き受けている。転校生の少女、海野藻屑は、父親の暴力でぼろぼろの身体を沢山の脆い嘘で包みこんで守っている。
メインキャラクターである少女たちはとても未来を信じられる状況ではなく、先の見えない息苦しさが短い物語の中に満ちている。
生まれる家は選べない。逃げることも叶わない。与えられてしまった環境の中で、どうにか大人になるまで生きていくしかない。
「砂糖菓子の弾丸は打ち抜けない」は、どこにでもありうる地獄の中をサヴァイヴする子供達の話だ。
家庭や学校。子供を取り囲む狭い世界は、時に過酷な戦場だ。
そこで自分を守り、生きていくために必要なもの。それが本作で言うところの弾丸だ。それは時に学力だったり、ソツのない立ち回りだったり、純粋な暴力だったりするだろう。
海野藻屑の場合、それは甘くて脆い嘘だった。それだけしか持っていなかった。
結果的に、物語の中で彼女は実の父親からの暴力で死亡してしまう。
この点と、着実に死への伏線が積み上げられていく雰囲気が「鬱作品」と呼ばれる所以なのだろう。でも。
どうにか生き抜けば、大人になれる。
そんな、苦境でも強く生きようと思わせる祈りも込められた作品だと思う。
単純に鬱作品と断じて遠巻きにするのでもなく、フラットな印象で一度読んでみてほしい作品。それが「砂糖菓子の弾丸は打ち抜けない」に対する私の評だ。
私の知る"弾丸"の話
そういえば。
夫は、かつて似たような空虚な弾丸を撃っていた。大学時代、研究室に配属になった直後だったから、たぶん21,2才とかそのへんだったと思う。ちょうど私がはじめてこの本を読んだ頃だ。
男性9割の研究室だった。飲み会のたびに奴は、いわゆるホモソーシャル的な下世話な体験をよく語っていた。でもその話は時折現実感が妙に薄くて、しょーもない嘘だなぁ、と私はぼんやりウーロン茶を啜っていた。
後になって、奴の実家はひどく厳しく、その上貧しくて、ハードなアルバイトをいくつも掛け持ちしながら必死になって大学の成績を維持し続けていたことを知った。国立とはいえ学費と生活費を自力で賄うのは大変で、休みの日は年に数日だという。あの嘘は、男社会なバイト先でうまくやってくための銃弾のひとつだったのかもしれない。
やがて修士課程に進学したころ、奴の父が亡くなった。それとほぼ同じくらいに、奴は何故か筋トレを始めた。私より軽かった体重が10キロも重くなる頃には、下世話な虚言は消え失せていた。付き合い始めたのもその頃だったかもしれない。
今、あの空っぽな弾丸の話をすると、とてもバツが悪そうな顔をする。
10年の間に、夫の体重は筋トレによってプラス30キロになった。空の弾丸を手放せたのは、リアルなパワーという実弾を手に入れたからか、安心を手に入れたからからかは分からない。
なんにせよ、無事大人になるまで生き抜いてくれたことを喜ばしく思う。こんなことを言うと本人には鼻で笑われそうだけど。