堀井憲一郎氏の「文庫本は何冊積んだら倒れるか(本の雑誌社 )」を読んだ。
「本の雑誌」というそのまんまな雑誌に連載されていた調査記事を書籍化したものらしい。一言で言ってしまえば、「本好きのゆるい自由研究」といった感じの内容だ。
良くも悪くも独特な本
正直に言って、ものすごく賛否が分かれそうな本だと思う。
自分も最初、「なんだこの本」と思った。最初の章からして、文庫を出版社ごとに縦積みしてどこまで行ったら崩れるか、なんてことをやっている。一番高く詰めたのは新潮文庫の49冊 67.5 cmらしい。だからなんだというのだ。
しかし、読み進めるほど著者の読書量、文庫本という存在への愛が伝わってくる。
読書沼の深いところにいて、古書が好きだったり同じ物語の版違いでの差異などにニヤニヤできる人にはブッ刺さる本なんじゃないだろうか。
以下、特に面白かった部分を紹介する。
「本は腐ります」
ゆるーい自由研究をハイハイと眺めていたら、唐突に刺された。見出しの一文。
本は腐る。
積んでおくと、読まなくなる。
読まなくなった本は、すでに腐っております。どん。
物理的にではなく、気分的に腐っていく。
気になる本はとりあえず買っておこう。買っておけばいつかそのうち読むだろう。私自身そうやって積読本をわんさと増やす人間なので、正直ぎくりとした。
「未読の悪魔はどれくらいで取り付くのか」という章では、机の脇に積んだ本が何日くらいで手に取られなくなり只のインテリアになってしまうのか、を調査している。著者のデータ(n=1)では21日がボーダーらしい。3週間か。確かに3週間読まなかった本はそのまま存在を忘れてしまうだろうな。買った本は腐らせる前に読もう。
小説の冒頭と末尾だけ読んで速読
小説の最初の一文と最後の一文だけを読んで小説を味わう、という新しい遊び方の提案。「小説をめちゃ速読してみる」の章で6ページたっぷり使って紹介されている。
そんなの支離滅裂にしかなるわけないだろ、と思うが、案外それらしい文章になっていて面白い。雪国や羅生門、吾輩は猫である(短編部分)など、冒頭と末尾だけでも良いダシが出ている。
そういえば、書籍は〆の一文が最も重要だと聞いたことがある。
読後感を最も作用するのはラスト一文の出来らしい。もちろん、物語の冒頭での引き込みも重要だ。そう考えれば、名作小説は冒頭と末尾だけであってもしっかり魅力が味わえるのだろうな。
注釈には解説者の価値観が滲み出る
「『細雪』を副音声解説付きで読む」の章から。
どの語に注釈をつけるか。どういう情報を盛り込んで解説するのか。その塩梅には解説者の思想がダイレクトに影響するらしい。
新潮文庫の「細雪(版は不明)」ではやたらとモノの値段に注釈が入っており、登場人物がカネに困らない身分であることにフォーカスされていたようだ。
本章では自由研究よろしく、「細雪」の文庫全3巻にどれだけ注釈が入っていたのかがカウントされており、ゆるく分類までされている。平均して1.3ページに1つと丁寧に注が振られているが、「イクラ」に特に情報量のない注が付いているなど、謎の注釈も多くを占めている。
注釈にそこまで意識を向けたことがなかったが、こういう偏った注釈を探すのは楽しそうだ。
そのほか
上記に挙げたもの以外にも、夏目漱石からの100年間で小説中の漢字の占める割合がどう変わったかや、本屋大賞受賞作品の値段と重さの関係(100グラムいくらかの換算。「鹿の王」がなかなかお値打ち)、新書タイトルの長さはどれくらいか(平均6.8文字。一般には6文字以内で簡潔なタイトルにしろ、と言われるらしい)など、読書好きとしては楽しめる内容が書かれてる。
堀井氏の語り口も軽妙で、ゆるーく楽しめる良い本だった。
冒頭でも書いた通り、合わない人にはとことん合わない駄本になるだろうが、刺さる人にとってはたまらないだろう。
部屋に本の山ができているような人は、ぜひ。
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