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"刺さった本"の感想・書評を書いています。

本へ書き込むということ

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本が汚れることに抵抗感があった。

小説でも漫画でも、なるべく新品で買って綺麗に読む派だった。古本はなんだか嫌な感じがして、表紙にスレや傷がつくのも避けたかった。カドを折るドッグイヤーなんてもってのほか。ものを食べながら本を開く行為は万死に値する。でも、読みかけの本を伏せて置くことにはさして抵抗はない。

そんな本に対する面倒臭い哲学を持っていたのだけど、最近は古本の購入も(比較的綺麗なものに限る)図書館の利用も(あまり貸し出されないような本ばかり読んでいるからかもしれない)割と気兼ねせずできるようになってきた。

そしてとうとう、手を出してしまったのだ。本への書き込みだ。

 

最近ライター名義の仕事で、とある小説の科学監修を請け負った。ストーリーに出てくる科学技術に誤りがないか、舞台や登場人物の設定上の矛盾が生まれてしまわないかを校正するのが主な内容だ。

情報の裏をとるために論文をあたり、参考書籍もいくつか買っているのだけれど、一つ大きな壁に突き当たってしまった。本へのメモや索引付けがほぼ必須なのだ。

情報を引用する時に、綺麗なままの文字列から要点を拾うのは時間がかかる。論文のコピーにあれこれ書き込みむことには全く抵抗はないので、問題は本だ。初めは付箋のみで乗り切っていたのだけれど、次第に「これはもう、やるしかないな」という考えにシフトした。

既に見た情報を再確認するのに、わざわざ頭から文章を読んでいられない。私はついにマーカーを手に取った。

いざ書き込みを始めてしまえば、綺麗な本を構成していた文字の繊維が、一目でわかる咀嚼された情報に変わっていく。

それまでの抵抗感とは裏腹に、書き込まれた本というのも自分に馴染むような気がした。本を汚したくないという気持ちは変わらずあるけれど、使い方に合わせて程よく付き合い方を変えていこうかな。