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ただのコラム集で終わらない洞察『小田嶋隆のコラムの切り口』

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ただのコラム集で終わらない洞察『小田嶋隆のコラムの切り口』

『小田嶋隆のコラムの切り口』を読んだ。

本書は、著者・小田嶋隆が20年以上にわたるキャリアで磨き上げたコラムニストとしての技術が一冊に凝縮された本だ。

体裁としては小田嶋氏が各種媒体に向けて執筆し、結果としてお蔵入りしたコラムを再構築した「コラム集」になるのだが、随所で ”いかなる視点からその題材を選び、どのように執筆したか” という書き手の意図が明らかにされているのが特徴的だ。

特に興味深いのが、本書の章テーマが、彼の以前の著作『小田嶋隆のコラム道』で紹介されたコラム作成法に基づいている点。

「私たちがこれまでに見たことのない、執筆者の意図や技巧を軸にしたコラム作成の秘密を解き明かす一冊を作り上げた」 -p3

と前書きで堂々と書かれている通り、単にコラムとして面白いだけでなく、書き手の技術や視点を磨くための実践的サブテキストとしても機能する作りになっている。


書きたい人にとっては貴重な洞察やヒントを得られるし、読みたい人は小田嶋氏の表現力の豊かさと深い知識を直球で楽しめる。そんな魅力的な一冊だった。

小田嶋隆のコラムの切り口|ミシマ社

こんなふうにも書けるのか!

枠組みを決めて書く
会話に逃げる
分析を装い、本音をぶち込む
オチをつける
長文も短文も、かように

天才コラムニストの技がいかんなく詰まった傑作コラム集。
ブログ、SNSなどの執筆の参考にも…

爆笑必至です。  -ミシマ社説明文より引用

書き手目線|随所に散りばめられた執筆のヒント

本書の構成は、『小田嶋隆のコラム道』という書籍で書かれた小田嶋氏の極意7つを示し、それぞれ実例となるコラムを取り上げて紹介するスタイルだ。

特に興味深いのが、各コラムの末尾に記された「文字数」

全体の文量を示されたからなんだ、と思うかもしれないが、書き手として「規定の文字数内で起承転結をまとめ、その上で個性を示す」というのは最も頭を使う部分である。字数が決められていない趣味の文ならまだしも、商業媒体になると文字数の規定は避けられない。

その点、熟練の書き手である小田嶋氏の、文字数に対する話のボリューム感や転換のタイミングは、文章の構成を考える上で参考になる。読者の注目を引きつけ、メッセージを効果的に伝える方法の一端が見出せるだろう。

読み手目線|「小田嶋コラム」の深みとユーモアのバランス

読み手としての視点からいくと、小田嶋隆氏の文章の魅力の一つは、その独特のユーモアと深い洞察が見事に融合している点だろう。

その最良の例が、「読書の苦しみ」というコラムのエピソードだ。

読書そのものが、実感として必ずしも苦しいのではない。むしろ、読書にしか慰安を見出せないような生活が苦しいということで、より実態に即した言い方をするなら、ある種の苦しみのさなかにいる人間は、読書に救いを求めることでしか生きていけないのである。 - p13

現実の無気力感から救済されたいがために読書に耽溺していった過去を振り返る内容は、ともすれば重くなりがちだが、小田嶋氏は「苦しみ」を軽妙に、しかし効果的に表現している。

私が読書に耽溺したのは、溺れる者のしがみついた対象が藁であったという事情に近い。藁そのものに浮力があったのではない。というよりも、溺れている人間は、藁を正しく評価することができない。藁はわらじを作るための原料で、本来は歩き出すための契機であるはずだ。なのに、私はそれに浮力を期待し、あまつさえ食べようとした。当然、腹を壊したが。-p14

溺れるものは藁をも掴む、という慣用句から、実利を読書に求めた過去を自嘲的に振り返る文章の見事さ。面白いのに、刺さりすぎて痛みすら感じる。

こんな秀逸なコラムを味わえるのも本書の魅力だ。目次のテーマに心惹かれるものがあれば、読んで損はないだろう。